大和市には、当初公設の訓練施設等(現在の松風園)があるのみでした。その当時市内には、7つの福祉団体があり、それぞれ活動を行い、市に要望等を訴えてきましたが、その7団体をまとめあげ、1977年(昭和52年)に大和市手をつなぐ親の会(現在の大和市手をつなぐ育成会)、大和市肢体不自由児者父母の会、大和市身体障害者福祉協会の3団体により大和市心身障害児者福祉団体連合会(以下「連合会」)が結成されました。団体設立当初は、障害児の教育の義務化等を目標に活動していましたが、子どもたちの成長に合わせ、今度は卒業後の進路が問題になってきました。

せっかく義務教育が受けられるようになっても、就職できずまた在宅の生活に戻ってしまう。

 そのような中、全国に共同作業所という新しい風が吹いてきました。(神奈川県では、地域作業所という呼称で広がりを見せます。)民間の手作りで、無認可ですが従来の福祉施設とは違う地域に根差し、障害を持つ当事者が主役となり活動をしていこうという運動でした。神奈川県においても、設立数はどんどん増えていき、大和市にも作ろうと連合会は動き始めました。スローガンは「18の春を泣かすな」でした。

 しかし、初めての活動に建物を貸してくれる業者もなく、運営も存続できるのか疑問視されていました。そこで連合会の会員の一人が、自宅の1階を開放し、1983年(昭和58年)に大和さくら作業所としてオープンしました。定員10名の作業所に想定を上回る応募があったそうです。これをうけ、大和市ではその後公設による3館構想がもちあがり、大和のぎく作業所(昭和60年)、大和みつば作業所(昭和63年)、大和福田作業所(平成3年)があいついでオープン。連合会だけでなく、志をもつ個人、団体が地域作業所を作っていきました。法外施設ゆえ、県と市からの補助金が主な財源であり、基本補助は、600万~800万円でしたので、人件費運営費等の捻出は厳しく、スタッフはほぼボランティアに近い活動でした。障害を持つ当事者、親、地域のボランティア、学校の先生等様々な方が関わっていました。

 当時は、県や市行政の後押しもあり、最盛期には大和市内に11か所の地域作業所がありました。神奈川県では500か所、全国で5000か所を超えたといいます。

 2000年(平成12年)に福祉8法が改正、支援費制度がスタート。2006年(平成18年)に障害者自立支援法、2013年(平成25年)障害者総合支援法の施行等ここ数十年でめまぐるしく日本の福祉施策が動きました。

 地域作業所として、大きく支えてくれた市行政でしたが、今後の継続性等を考え、運営主体である連合会役員、現場のスタッフ等で検討を重ね、障害福祉サービスへの移行を決定しました。

 2008年(平成20年)新たにNPO法人「大和障害者地域生活支援ネットワーク」(通称やまねっと)を設立し、7つの地域作業所を生活介護や就労継続支援B型として再スタートをきりました。

 さらに、事業の安定性を鑑み、社会福祉法人化への検討を図り、2013年(平成25年)2月に社会福祉法人やまねっとを設立しました。

 その後生活の場としてグループホームを立ち上げ、住み慣れた街で好きな暮らしをしていただけるよう支援を続けています。